1980年代、日本経済が世界の市場を席巻し日系企業が多く海外進出を果たしたころ、多くの論文や研究は日本式の経営方針を好意的に取り上げましたが、中には批判的な意見もありました。その中の一つが、日系企業の現地人材育成についてです。
ハーバード大学のバートレット教授は、神戸大学の吉原教授との共著「New challenges for Japanese multinationals」の中で、日系企業の弱点は自国民中心的な海外支店の支配であり、現地人材をおざなりにしたこの方法は長くはもたないと指摘します(Bartlett and Yoshihara, 1988)。
バートレット教授の警鐘から30年、平成も終わり令和へと足を踏み入れた今日、この日系企業の長年の課題であった「現地人材の育成」という問題は現在どのようになっているのでしょうか。
1,500以上の日系企業が進出するここドイツでの例をもとに、日系企業の人材育成戦略についての現状を説明します。
現地人材育成のトレンドと多国籍企業の取り組み
「The war for talent」というスローガンが表すように、昨今人材獲得の競争は国境を越え、多国籍企業間では熾烈な争奪戦が繰り広げられています。
多国籍企業は従来の単発的な「ヘッドハンティング」スタイルをやめ、長期的な内部人材の育成を人事戦略の基盤として、優秀な人材の獲得・開発を心がけるようになりました。
こうした企業の「長期的な目線での人材の育成方針」はタレント・マネジメントと呼ばれ、これが自国の社員だけでなく現地支社の人材にも適用される場合、グローバル・タレント・マネジメントと言われています。
タレント・マネジメントの目的は「将来の主要人材(幹部・リーダー候補)の確保」で、そのために以下の3つの取り組みが主に含まれます。
- Recruitment, staffing, and succession planning(現地人材リクルート戦略);
- Training and development(現地人材開発戦略);
- Retention management(現地人材離職対策)
これらの戦略は密接に関わっており、例えば魅力的な人材開発のプログラムはそのまま離職率の軽減や新規雇用の促進にもつながります。
こうした取り組みに力をいれ、内部リーダーの育成のプログラムが認められているのは、以下のようなアメリカに本社を置く企業がほとんどですが、中にはサムソンやトヨタなどもその1社として数えられています。
Source: 20 Best global Companies for Leadership(Hay Group, 2014)
このような将来の管理職の育成戦略は、採用の段階からすでに始まっており、以下の図のように「採用」→「幹部候補の見極め」→「開発・育成」→「キャリアプラン」という、さながら人材のサプライチェーンのようなルートを辿ります。
Source: Grove, 2007
具体的な現地人材開発のメソッドとして挙げられるのは、以下のような取り組みです。
- 本社出向・トレーニングプログラム
- リーダー研修
- 360度フィードバック
- 各国支店へのジョブローテーション
- キャリアアップのチャンス・明確なプログラムの説明
- メンター制度
もちろん、どのような内部人材の育成プランをおこなうかは企業ごとに異なりますし、また進出先の国や、現地人材の特徴によっても変化します。
日系企業のドイツにおける人材開発・キャリアアップの現状
さて、世界的にもトレンドになりつつある現地人材の育成とキャリアパスの在り方ですが、日系企業の場合事は多少情が異なります。実際のところ、こうした実践的な現地人材育成計画が、日系企業内で行われているケースは稀なのです。
例えば、2010年のデータによると、日系企業の現地支店における現地人材管理職の数はわずか25%です。イギリス企業ではその割合が80%であることと比べると、その差は歴然としています。
(Adapted from Harzing et al, 2010)
冒頭で記した通り、日系企業の弱点である「現地人材の育成」は、平成の時代を経てもなお、昭和からの課題として残されているケースが多いです。
特に、日系企業の現地人材の獲得・開発の妨げになっているものの一つが「日本人駐在員による現地の統制」と、それに付随する「現地人材のキャリアアップの壁」です。
後述するように、日系企業の場合多くの理由から、現地の統制を駐在員のマンパワーに頼らなくてはいけないケースが非常に多く、それが現地人材の育成の阻害要因につながっています。
この、日本人以外は管理職に昇進できない(あるいは難しい)という障壁は、現地人材のモチベーションにとってもマイナスですし、本社人事の将来の現地人材育成プランにとっても足かせになっているのです。
さて、この「日本人駐在員」に頼らなくてはいけない理由と、その解決策はあるのでしょうか?
日系企業の現地化を妨げる要因
まず、日系企業が「日本人駐在重視」のシステムに頼らなくてはいけない理由の一つに、日独の文化の差が挙げられます。
文化の差の大きさは、支店のコントロールを困難なものにします。コントロールがうまくいかなくなると、統制の混乱、モラルハザードの発生、本社特有の文化や強みの喪失などを生むため、本社は極力支店の文化を自国の文化に近づけるように努力します。
この文化的な差異を軽減させる最も簡単なやり方が、駐在員の派遣とそれらによる支店の統治になります。
この「駐在員による支店の統治」は簡単である一方、現地人材のダイナミックな育成や昇進ができず、いつまでも支店が自治能力を持たない単なる「駐在員の駐屯地」に留まってしまうケースが少なくありません。
そのため、本社側も現地化の促進をしたいものの、本社主導の方法を失うリスクとあわせ、なかなか思い切った現地化と現地人材の育成に踏み切れないのが実情です。
また、仮に支店のマネージャーや支店長にドイツ人を据えたとしても、今度は本社との意思疎通にトラブルをきたす恐れがあります。社内の重要な決議、文書など、まだまだ日本語のみで行われるケースが多く、ここに日本語を解さない現地人材が入り込む余地は多くありません。
日系企業のドイツにおける現地人材育成の取り組み
一方で、日系企業の中にはこうした障壁を乗り越え、ドイツ現地人材の育成に成功し、トラブルを抱えずに現地のマネージャーや社長に現地人材を据えている企業も存在します。
そうした成功したやり方の一つに、アメリカの企業がよく行う「本社での育成」という方法の活用が挙げられます。
現地で採用した人材の中で、特に優秀なものを、2~3年の期間を設けて本社に出向させ、そこで幹部候補として本社のシステムややり方を学ばせ、将来彼らが海外支店のトップに立った際の支店と本社の間の齟齬や文化的差異を埋めようという方策です。
他にも、優秀な社員に日本語を学ばせたり、そもそも日本留学経験がある日本的な素養がある人間を幹部候補として採用する、というケースも存在し、本社と現地採用マネージャーとの意思疎通の壁を軽減させようとする試みは様々です。
また、このように現地マネージャーに本社スタイルを学ばせる一方、受け皿である本社側でも、若手の日本人を積極的に海外に駐在させたりして、外国のやり方に慣れさせようとする企業も増えています。
現地採用者には本社式を学ばせ、日本人社員には現地式を学ばせる、という「相互の歩み寄り」をおこなっている企業が、昨今の現地人材育成と現地の統制をバランスよく両立している企業の特徴です。