大卒後、大手医療機器メーカーの営業として働いたのちヨーロッパへ2回転職、最終的に海外営業として成功を収めたサッカー好き男性の体験談を紹介します。
きっかけはサッカー サッカー少年の運命を決めたドイツワールドカップ
青木さんは日本の4年制大学でドイツ語を専攻しました。
「もともとヨーロッパには漠然と興味があった」と高校時代を振り返る青木さんは、2006年のサッカーワールドカップ・ドイツ大会をきっかけにヨーロッパの中でも特にドイツに興味を持ち、在学中にドイツ留学の選択肢がある大学を選びます。
大学生活中、青木さんはかねてよりの目標の一つであった交換留学を成し遂げます。その際、留学プログラムの傍ら、ドイツの小学校や医療機器メーカーで一ヵ月間のインターンを経験することができ、ドイツ社会の一片に触れたことで、海外に携わる仕事、ドイツでの社会人としての生活がイメージできるようになりました。
ドイツ留学から帰国後、青木さんの海外熱はさらに高まります。仕事で使える英語を身につけるためにイギリスへワーキングホリデービザを活用し渡航。そこでさらに1年間英語を学びました。
「ドイツ語だけでは限界があると思いました。世界で活躍するためには、英語は当然の能力だと思った。そして国際コミュニケーションの習得が大きかったです」
そう考えた当時の青木さんは、母国語以外でのコミュニケーション、多国籍・多文化から得る刺激に感動し、就職先も必ず海外に携われる場所にしようと決意します。
大卒で大手企業に就職も24歳で渡独を決意
卒業後、海外展開も広く行っている日本の大手医療機器メーカーに就職を果たした青木さん。面接時に留学の話をして将来は海外営業部に所属したいと想いを述べ、内定を勝ち取りました。
ところが新卒として4月を迎えた彼の配属先は、彼の期待とは裏腹に、海外駐在とも英語とも接点のない国内事業部でした。日本の大手企業の特徴の一つであるいわゆる「部ごとの」縦割り人事のため、国内事業部に配属された時点で、将来的にも彼のキャリアパスの中に駐在のチャンスが薄いことは明確でした。
「非常に良い会社で、やりがいがあり楽しかった。何よりホワイトでした」と青木さんは当時を振り返りつつも、「僕は帰国子女ではないですし、5年、10年と海外や外国語に触れずにいたら、実践で培った能力が薄れてしまうという焦りがありました」と当時の思いを語ってくれました。
それでも、せっかく内定をもらった会社をすぐに辞めてしまってはという思いや、もしかしたら海外赴任以外に自身のやりがいを見出せるかもという望みもかけ、配属後二年は国内事業部での仕事を続けました。ところが、日増しに青木さんの海外事業への渇望は高まる一方で、思いとは反対に英語を使う機会はみるみる薄れていきます。
そんな悩みを抱えている時に、留学時代にインターンをしていたドイツの医療機器メーカーから声がかかったのです。青木さんは一か月考えぬいた末、転職してドイツへ移住する決断を下しました。
渡独の決意と、ドイツ企業(中小企業)での葛藤
待望のドイツ移住を決めた青木さんは、ドイツ到着から2日後にはすでに出社していました。全員に挨拶をしてから自分のデスクとパソコンをもらったはいいものの、初日から問題が発生。上司のドイツ語が早すぎて聞き取れなかったそうです。大学在学中に独語検定準1級を取得していたにも関わらず、やはり座学で身に着けたドイツ語と実際に使用される口語のドイツ語とではレベルに違いがありました。
青木さんはそこから奮起し、仕事を覚えるだけでなく語学の勉強にも励み、ドイツ語と英語をビジネスレベルまで磨き上げます。そして3年も経過すると仕事も板につき、ドイツ企業の良いところと悪いところが見えてきました。もちろんドイツ企業と言ってもピンキリで、会社の規模や業界によって異なる点は多いですが、青木さんは自身の経験から次のように総括しました。
中小規模のドイツ企業に勤めて感じたこと | |
良かった点 | 大変だった点 |
言語の習得が早い | 日本の文化が一切通じない |
日本ほど時間に厳しくない | 個人主義ゆえに高い自己完結力が必要 |
自分の意見をはっきりと言える | 自身のプロジェクトは100%自己責任 |
給与交渉ができる | 福利厚生が比較的悪い |
休暇が取りやすい | 年齢給・勤続給がない |
青木さんはドイツ企業の長所を感じつつも、日本とは根本的に異なる文化のはざまに立たされ、知らぬ間にストレスを日々蓄積していきました。
例えば、『日本の文化が一切通用しない』のは一見当たり前のようですが、なかなか難しいこともあります。日本では同僚に不満がある際、常に上司を通して伝えてもらい、同僚間の摩擦が発生しないように努めますが、ドイツでは真逆です。直接言わないことは失礼に値するので、不満がある場合は基本ダイレクトに提言します。ですが20年以上日本で育った青木さんは、やはり根は日本人でそのような摩擦がストレスとなりました。
また、個人主義というのは非常に微妙な性質を持っていて、青木さんのフラストレーションの種になります。「日本では、自分のタスクでも同僚や上司が積極的に介入してサポートしてくれるケースがあったが、こちらでは基本自分」と、青木さんは話します。
「自分のペースで進められるのはプラスだし、報・連・相もほとんど必要ないが、その分プロジェクトが失敗したときの責任は全て自分が負いましたね」
さらに福利厚生に関しても違いは肌で感じたそうです。住宅手当や交通費の支給はありません。日本ならではの年齢給や勤続給もないので、給料が自動的に毎年上がっていき40代、50代を迎えてもそれなりに稼げているという道筋は見えませんでした。
上述したような良い点も数多くあったものの、青木さんは日本の会社とドイツの会社の中間がちょうどいいと思うようになりました。
ドイツへ転職してから3年半が経過し、20代後半を迎えた青木さんは、将来の進路について再び悩み始めます。その時の頭の中には3つの選択肢が描かれてました。
- 日本へ本帰国し再就職
- 他のドイツ企業へ転職
- ドイツに拠点を持つ日系企業へ転職
ドイツのワーク・ライフ・バランスには満足し、できればドイツに留まりたいという思いが強かったそうですが、ドイツの企業か日本の企業かで悩んだそうです。しかし、「実際のところ自分の心は大分早い段階から決まっていた」と青木さんは胸の内を明かします。
「20代後半になり、次の仕事はもっと長く続けたい。日本人という自分の強みを生かしつつ、ドイツのワーク・ライフ・バランスを維持したい」
この願いへの解は、『ドイツに拠点を持つ日系企業』への転職でした。そこで青木さんは、在独日系企業への転職に強い、Career Management社に連絡します。
するとすぐにCareer Managementの社員と電話面談を行い、自分の今後のキャリアについて相談します。当社の担当社員は青木さん同様にドイツ在住で、メリット・デメリットを同じように把握しているため、青木さんの悩みに共感するところが大きかったのです。
青木さんは自身でもインターネットで求人を探していましたが、自分では辿り着けない案件を紹介してもらえるだけでなく、自分の求めるキャリアに合う会社を一緒に擦り合わせできたことを評価しています。
そして最初の面接にたどり着くまでは2週間とかからず、順調に二次面接を経て入社を果たした青木さん。現在は在独日系企業のドイツ販社で営業マンをしています。「入社までのサポートだけでなく、入社後も心配して気遣ってくれたことが嬉しかった」と青木さんは当時の思いを語ります。ドイツに展開する日系企業の海外営業部は、日系企業の中でも最もポジションの求人が多くまた青木さんのように言語的・文化的に海外素養のある人材の場合採用に至りやすいというメリットがあります。
日系企業へ転職して分かったこと
青木さんが転職してからすでに4年が経過しましたが、実際にドイツの企業と日系企業を比較して、次のようにまとめてくれました。
在独日系企業に転職して感じたこと | |
良かった点 | 大変な点 |
仲間意識が強く、長く仕事を続けたい | 日本らしい文化が残ることも |
良い意味で海外慣れした日本人集団 | 過度な報・連・相 |
日本への出張がある | 年齢給・勤続給がない |
福利厚生が手厚い | |
本社採用のチャンスが残されている | |
ドイツ語能力がマストではない |
実際、日系企業への転職は大正解だったと青木さんは振り返ります。
「確かに大変なことが全くない訳ではないですよ。企業によるところもあるが、承認プロセスが長かったり、報告に時間を割くことも少なくない。ただ、それを大きく上回るアドバンテージがありますね」
日本から駐在員として来る方々は海外の仕事文化に慣れている人が多いです。また、日本の企業とはいえ働き方は現地の習慣が採用されるケースが多く、家族やプライベートの時間を大切にできることが大きなポイントです。
青木さんは、「給与や待遇は確かに駐在員より劣る。でもそれは責任の大きさと立場を考えれば当たり前。自分も結果やパフォーマンス次第では昇格・昇給の可能性はあると面談で話しています。そして、日本にいる友人たちのように夜遅くまで残業することもなく、平日も家族との時間を満喫できています」と、ゆとりある表情で話していました。
労働条件は会社にとって異なりますし、自身の価値観次第でどのような就職を目指すかは変化します。ですが、ドイツに来て紆余曲折がありながらも自分の好きなライフスタイルを見つけた青木さんのキャリアは、皆さんの次のキャリア考える上できっと参考になるのではないでしょうか。